i-154 「昭和20年代回想--大堂津駅」
大堂津駅は無人駅となっていた。戦前の建物は実にしっかりと作られている。見かけは廃墟だが傾きも雨漏りもない。
しかし、ひさし下のベンチは風雨に晒され染みだらけだ。使った形跡のない雨染みだらけのベンチに腰掛け、雑草生い茂る鉄路を
眺めながら1時間に1本の宮崎行きの列車を待った。  ホームで列車を待つ者は一人もいなかった。暗い曇り空から、時折、大粒の雨が
バラバラと落ちては過ぎて行った。

昭和20年代、 その小さな駅に駅員が5人はいた。駅舎脇には国鉄の官舎があった。貨物引き込み線のホームではマル通職員が
干物の箱や塩辛の樽をムシロと荒縄で巧みに梱包し、山のように積み上げていた。駅舎の軒下でスコールを避けていると、不意に60年前の
賑わいが蘇った。当時の駅は町の社交場で、老人たちは孫の手を引いて機関車を見に来ていた。子供だった私たちは肉親や知人を待つだけでなく、
下車する人を物珍しく眺めていた。