p-117「こどものためのサティ・Queen of tulip」個人蔵
「チューリップの女王さまはキャベツスープがお好き」絵本・訳文・立松和平・評論社「子供のためのサティ」のイメージを絵皿にした。 絵描きに転身した時、作家のパーティーにくまなく出席して情報収集した。 日本画のパーティー出席すると、理事が若手作家に話している声が聞こえた。 「君、絵を売るにはとにかく金を多く使うといい。コレクターは絵のことは分かっちゃいない。金箔や金泥がパーッと使ってあれば、それだけで高価な絵だと思い込んで大金を支払う」 なるほど、一理あると納得した。 それらを参考に、その直後に控えていた個展で、どのような作品を売るか戦略を練った。 個展は賞狙いの公募展とは違う。 一般コレクターが欲しがる絵は工芸的なものが良い、と考えて絵皿を描くことにした。絵皿の縁に金箔を貼ることを考えたが、私のイメージに合わなかった。それで、古びた真鍮の肌合いにすることにした。 個展は、洋画家の大家で芸大学長を務めた林 武氏の子息が経営する銀座の画廊・彩林堂だった。林家は元々国学の家系だ。子息の林 慈氏も大学で日本文学を教えながら画廊を経営していた。 作品の計画を話すとすぐに賛同してくれた。 そして、作品はよく売れてマスコミでも評判になった。 木製の絵皿はトールペインティングと言われていて、米国では主婦に人気のある手芸品だ。それを芸術にまで高めたと、美術手帖を始め多くの雑誌から注目を受けて取材が殺到した。 そのまま絵皿で邁進すれば、今頃はその世界の大家になっていた。しかし私は、逆噴射してしまう性格だ。その結果、売れない絵描きへ邁進してしまった。 それは戦略が欠如していたからではない。 私はもっとずーっと上を狙っていた結果だ。 もし、小さな絵皿の世界で満足していたら、これまでのような、お面白い人生はなかった。 |